森はな年譜

年号 【年齢】

事項

1909(明治42)年
【 0歳】

  • 4月16日、兵庫県養父郡大蔵村宮田四七四番地(現 朝来市和田山町宮田)に生まれる。
    父・中島信之助、母・とりの次女。
    生家は酒類販売を主に取り扱う商家で、農業も行っていた。屋号「大下」。
    姉一人、兄二人、妹二人、弟一人の七人兄弟姉妹の真ん中。

1916(大正 5)年
【 7歳】

  • 4月、養父郡大蔵小学校(現 朝来市立大蔵小学校)に入学。

1922(大正11)年
【13歳】

  • 3月、大蔵小学校を卒業。同校高等科に進学。
  • 浅田正雄先生の指導を受け、文学的な世界に導かれる。

1924(大正13)年
【15歳】

  • 3月、大蔵小学校高等科を卒業。兵庫県明石女子師範学校に入学。寄宿舎生活を送る。

女子師範時代のはな
姫路文学館提供


1925(大正14)年
【16歳】

  • 9月、次妹すゑ、脚気のため急逝。
  • 12月、父信之助死去。(55歳)
  • この年、後の夫、森種樹と初めて出会う。

1928(昭和 3)年
【19歳】

  • 3月、明石女子師範学校を卒業。卒業に際して精勤賞を受ける。
  • この年、養父郡南谷小学校へ赴任。南谷村宮本の田村家に下宿。

1929(昭和 4)年
【20歳】

  • この年、養父郡養父小学校へ転任。生家に戻る。

1932(昭和 7)年
【23歳】

  • この年、母校、養父郡大蔵小学校へ転任。
  • 12月3日、7年越しの交際相手である同僚の森種樹と結婚。
  • 結婚までの3年間、ほとんど毎日手紙の交換をしていた。

1933(昭和 8)年
【24歳】

  • 9月、長女初枝誕生。

1936(昭和11)年
【27歳】

  • この年、加古郡荒井小学校に転任。
  • 加古川市加古川町寺家町352番地の夫の生家に移る。
  • 7月、長男秀樹誕生。
  • この年から、俳人永田耕衣に師事。句作は晩年まで続けられた。

1938(昭和13)年
【29歳】

  • この年、加古郡荒井村荒井(現 高砂市荒井町)に転居。

1940(昭和15)年
【31歳】

  • 4月、次女紀美代誕生。

1943(昭和18)年
【34歳】

  • 12月、次男俊樹誕生。

1945(昭和20)年
【36歳】

  • 5月、長兄一郎ニューギニアで戦死。

1948(昭和23)年
【39歳】

  • 9月、三女協子誕生。
  • 12月、母とり死去。(72歳)

1952(昭和27)年
【43歳】

  • 3月、40歳以上の女性教諭に対する県からの退職勧告を受け、荒井小学校を退職。
  • 4月、助教員として印南郡伊保小学校へ再就職。

1953(昭和28)年
【44歳】

  • 12月、創作劇「お祭りに来た兄妹」が、第6回NHK近畿学校劇中央コンクールで最優秀賞を受賞。
  • この年、加古川市加古川町寺家町へ戻る。

最優秀賞の盾
伊保小学校所有


1954(昭和29)年
【45歳】

  • 12月、「峠もお祭り」で、再び第7回NHK近畿学校劇中央コンクール最優秀賞を受賞。
  • NHKテレビに出演する。
  • 以後、毎年のように好成績を残し、児童劇の指導に足跡を残した。
  • この頃、作文教育で活躍していた横谷輝(児童文学作家 評論家1929~1973) 渋谷清視(研究者1929~)らの同人誌『はくぼく』創刊に参加する。

1960(昭和35)年
【51歳】

  • 3月、伊保小学校を退職。32年間の教員生活に別れを告げる。
  • 11月、姫路市で萩原幽香子(当時・姫路市議会議員)が創刊した「文を書くおかあさんの会」の会誌「おかあさん」に参加し会計係をつとめながら、随想や童話を発表。
  • この年、神戸児童文学「あすの会」同人となる。
  • この年、神戸新聞姫路支社青少年相談員となり、69年まで10年間つとめる。

1961(昭和36)年
【52歳】

  • この年、日本児童文学者協会会員となる。
  • この頃、姫路市飾磨区の山陽電車飾磨駅近くに作られた「姫路市フレーベル愛育研究所(1964年「つぼみの会」と変更)」で、幼稚園入園前の幼児教育に関わる。

1966(昭和41)年
【57歳】

  • 8月、「あす」第23号に「じろはったん」の原型となる短編「あか土」を発表。
  • 11月、「あす」第24号に「きつねのよめいり」を発表。
    のちに『キツネの花よめいしょう』となって刊行された。

1968(昭和43)年
【59歳】

  • この年、萩原幽香子の参議院議員当選に伴い、「おかあさん」9月号より、編集発行人を引き継ぐ。

1971(昭和)46年
【62歳】

  • 3月、『山とまぼろしとじろはったん』(牧書店 児童文学同人誌シリーズ「あす」同人編)刊行。「じろはったん」が収載される。
  • この年、NHK「こんにちは奥さん」に出演。
    「じろはったん」が影絵で紹介される。

1973(昭和48)年
【64歳】

  • 10月、『じろはったん』刊行。(牧書店)

1974(昭和49)年
【65歳】

  • この年、『じろはったん』第7回日本児童文学者協会新人賞を受賞。
    〔遅咲きの新人〕と話題になる。
  • この年、サンテレビ「にんげん紀行」に出演。

1975(昭和50)年
【66歳】

  • 1月、夫種樹死去。(67歳)
  • 2月、『じろはったん』が課題図書となり、第20回青少年読書感想文全国コンクールの表彰式に出席のため上京する。
  • 12月、『ハナ先生ものがたり』刊行。(アリス館)
  • この頃、自宅を開放して「子供の本を読む会」を始める。

皇太子ご夫妻の前で
姫路文学館提供


1977(昭和52)年
【68歳】

  • 4月、『わたしトシエです』刊行。(アリス館)
  • この年、「森はなを囲む児童文学の会」(通称 森はな学校)を始める。

1978(昭和53)年
【69歳】

  • 10月、『ひいちゃんとタチアオイの花』刊行。(PHP研究所)

1979(昭和54)年
【70歳】

  • 5月、毎日放送ラジオで、ラジオ小説『ひいちゃんとタチアオイの花』が放送される。

1980(昭和55)年
【71歳】

  • 6月、『キツネの花よめいしょう』刊行。(PHP研究所)
  • 10月、加古川市による加古川駅周辺の整備事業に伴い、住み慣れた家を離れ、新たに加古川市加古川町寺家町177番地の17に新築・転居。
  • 10月、『もどってくるもどってこん』刊行。(PHP研究所)
  • 11月、毎日放送ラジオでラジオドラマ「じろはったん」放送。
    このドラマで、昭和55年度文化庁芸術祭ラジオ部門で優秀賞を受賞。
  • この年、兵庫県学校厚生会編『ひょうごの童話』選者となる。
  • この年、日本子どもの本研究会全国大会(於兵庫)実行委員長をつとめる。
    開会セレモニー「森はなコーナー」で、「バラードじろはったん」を発表。
  • この年、神戸新聞に「四季のエッセー」4篇を執筆。

1981(昭和56)年
【72歳】

  • 11月、『おばあちゃんは落語屋さん』刊行。(学校図書)
  • この年、『もどってくるもどってこん』野間児童文芸賞の最終候補作品となる。

1982(昭和57)年
【73歳】

  • 2月、『こんこんさまにさしあげそうろう』刊行。(PHP研究所)
  • 3月、サンテレビ「近畿の話題」に出演。
  • この年、「東播子供の本の学校」「但馬子供の本の学校」を開催、校長をつとめる。
  • この年、『こんこんさまにさしあげそうろう』で第5回絵本にっぽん大賞を受賞。

1983(昭和58)年
【74歳】

  • 7月、坪田譲治主宰「びわの実学校」第118号に「夜振りの灯」掲載。
  • 8月、日本テレビ系列の連続ドラマ「若草学園物語」(主演・古尾谷雅人、かとうかずこ 脚本・布施博一)の第19話「健にいとじろはったん」で、「じろはったん」を紙芝居に仕立てて学芸会にするという設定でとり上げられる。
    テレビ局から譲り受けた紙芝居「じろはったん」は、加古川・高砂市内の小学校、幼稚園などで上演。
  • 9月、句集『残花帖』刊行。(終日閑房)
  • 12月、森はな学校創作童話集『海とめんどりとがいこつめがね』刊行。(神戸新聞出版センター)

1984(昭和59)年
【75歳】

  • 4月、『おさよつばき』刊行。(PHP研究所)
  • 5月、NHK「チャンネル神戸」で〔はな先生の童話教室〕放送。
  • 5月、NHK「おはようジャーナル・おんな西東」で〔はな先生は本の先生〕放送。
  • 10月、第1回加古川文化賞受賞。

1985(昭和60)年
【76歳】

  • 3月、森はな学校ファミリーコンサート〔黒沼ユリ子ヴァイオリン独奏会〕開催。
  • 8月、御巣鷹山の日航機墜落事故により長男秀樹氏死去。(49歳)
  • 9月、秀樹追悼のため、『「想い出に」─森秀樹・クレパス画集』を刊行。
  • 10月、サンテレビ「ライブラリィフライディ」で〔森はな先生の作品を語る〕放送。
  • 11月より、月1回特別養護老人ホームで、自作の読み聞かせを始める。
  • 12月、『わたしはめんどりコッコです』刊行。(金の星社)

1986(昭和61)年
【77歳】

  • 2月、エッセイ『赤い椿に寄せて』刊行。(兵庫県出版サービス)
  • 5月、『一二とうげ』刊行。(PHP研究所)
  • 8月、国際ソロプチミストアメリカ連盟より、婦人栄誉賞を受賞。

1987(昭和62)年
【78歳】

  • 2月、毎日放送(ラジオ)「おはなしどんぶらこ」に2週連続出演。
  • 5月、神戸新聞社より、第41回平和賞受賞。
  • 7月、『こはる先生だいすき』刊行。(ポプラ社)
  • 8月、「森はな学校」の勉強会で「赤いマントのおばあちゃん」を書き、未完となる。
  • 10月、『お葉つきいちょう』刊行。(サンリード)
  • 11月、加古川北在家画廊にて「お葉つきいちょう原画展」を開く。

1988(昭和63)年
【79歳】

  • 4月、胃癌のため県立加古川病院に入院。
  • 4月、「おばあさんの昔語り 月見草の詩」(西村恭子による口述筆記)
  • 5月、胃の全摘出手術を受ける。
  • 6月、術後の経過が順調で、いったん退院。
  • 11月、『キツネとしゅんぺいじいさん』刊行。(教育画劇)

1989(昭和64・平成元)年
【80歳】

  • 5月、県立加古川病院に再入院。
  • 5月、『おばあちゃんは落語屋さん』(朗読テープと図書のセット)刊行。(学校図書)
  • 6月14日、午前9時20分、永眠。(享年80歳)
  • 6月16日、加古川市加古川町河原の願成寺にて密葬。
  • 9月、「森はな学校」を解消し、「森はなをしのぶささゆりの会」発足。

1990(平成 2)年

  • 6月14日、1周忌に、「森はなをしのぶささゆりの会」が、森はな追悼文集『いとおしむ』刊行。
  • この年、ドイツ語版『じろはったん』(Der Schrei Des Kiteh)(大崎ドロテーア訳)刊行。

1993(平成 5)年

  • 7月、姫路文学館で、回顧展「おばあちゃんは児童文学作家になった」を開催。
    (7月2日~8月29日)
  • この年、英語版『Jirohattan』(黒崎民子 エリザベス・クロウ訳)刊行。

1996(平成 8)年

  • 4月、和田山町(兵庫県)図書館前に、梶山俊夫制作「じろはったんモニュメント」建立。
  • 4月、和田山町で「じろはったんの会」発足。
  • 11月、次男俊樹氏が補筆し、『土の笛』(PHP研究所)刊行。

1997(平成 9)年

  • 12月、「森はなをしのぶささゆりの会」編『ふるさとの語り部 森はな・人と文学』(神戸新聞総合出版センター)刊行。

2013(平成25)年

  • 10月、姫路文学館で、『じろはったん』出版40周年記念「児童文学作家、森はなの世界」開催。

2015(平成27)年

  • 7月、平成27年度地域の文化・芸術活動助成事業「はな先生からのメッセージ」を開催。(朝来市=7月25日、高砂市=7月26日、加古川市=11月21日、三市連携)
  • 8月、「森はな顕彰会」発足。
  • 11月、朝来市立大蔵小学校、森はな胸像完成、除幕。

2019年1月    
森はな顕彰会 年譜作成委員会作成

森はな顕彰会