肖像画

もりはな先生せんせい じろはったん朗読ろうどく

らせ

だいかいもりはな作品さくひん読書どくしょ感想文かんそうぶんコンクールが実施じっしされました!
たくさんのご応募おうぼありがとうございました。

もりはな顕彰会けんしょうかいについて

もりはな作品さくひんは、これまで紙芝居かみしばいに、児童劇じどうげきに、歌物語うたものがたりに、ミュージカルになって
おおくの人々ひとびとあいされてきました。
そこにながれる、やさしさをもとめつづけてきたもりはな
ひと、いのち、ふるさとを『いとおしむこころ』」が、
人々ひとびとこころらしてきたからではないでしょうか。
故郷ふるさと兵庫県ひょうごけん但馬たじまはぐくまれ、生涯しょうがいやしつづけた文学ぶんがくへのおもい。
おおくの作品さくひんのこし、時代じだいわすれたもの、時代じだいおしえてくれたものを
しずかにかたつたえたもりはな文学ぶんがくは、
何処どこなつかしくてひとこころつつみます。

2015ねん平成へいせい27ねん)8がつもりはな顕彰会けんしょうかい発足ほっそくしました。
おおくの方々かたがたが、もりはな作品さくひんにふれてくださることをねがって
読書どくしょ感想文かんそうぶんコンクール」や「舟流ふねながし」などをおこなっています。

もりはな先生せんせい略歴りゃくれき

1909(明治めいじ42)ねん 兵庫県ひょうごけん養父郡やぶぐん大蔵村おおくらむら宮田みやたげん 朝来市あさごし和田山町わだやまちょう宮田みやた) にまれる。
1928(昭和しょうわ 3)ねん 明石あかし女子じょし師範しはん学校がっこう卒業そつぎょう
養父郡やぶぐん南谷みなみだに小学校しょうがっこう赴任ふにん
1929(昭和しょうわ 4)ねん 養父郡やぶぐん養父やぶ小学校しょうがっこうげん 養父市立やぶしりつ養父やぶ小学校しょうがっこう)に転任てんにん
1932(昭和しょうわ 7)ねん 養父郡やぶぐん大蔵おおくら小学校しょうがっこうげん 朝来あさご市立しりつ大蔵おおくら小学校しょうがっこう)に転任てんにん
もり種樹たねき結婚けっこん
1936(昭和しょうわ11)ねん 加古郡かこぐん荒井あらい小学校しょうがっこうげん 高砂市立たかさごしりつ荒井あらい小学校しょうがっこう)に転任てんにん
加古川かこがわ転居てんきょ
1952(昭和しょうわ27)ねん 荒井あらい小学校しょうがっこう退職たいしょく
助教員じょきょういんとして印南郡いんなみぐん伊保いほ小学校しょうがっこうげん  高砂市立たかさごしりつ伊保いほ小学校しょうがっこう)へ再就職さいしゅうしょく
1953(昭和しょうわ28)ねん だい6かいNHK近畿きんき学校劇がっこうげき中央ちゅうおうコンクールで最優秀賞さいゆうしゅうしょう受賞じゅしょう
1954(昭和しょうわ29)ねん だい7かいNHK近畿きんき学校劇がっこうげき中央ちゅうおうコンクールでふたた最優秀賞さいゆうしゅうしょう受賞じゅしょう
1960(昭和しょうわ35)ねん 伊保いほ小学校しょうがっこう退職たいしょく
神戸こうべ児童じどう文学ぶんがく「あすのかい同人どうじんとなる。
1974(昭和しょうわ49)ねん 「じろはったん」だい7かい日本にほん児童じどう文学者ぶんがくしゃ協会きょうかい新人賞しんじんしょう受賞じゅしょう
1982(昭和しょうわ57)ねん 「こんこんさまにさしあげそうろう」だい5かい絵本えほんにっぽん大賞たいしょう受賞じゅしょう
1989(平成へいせいがん)ねん 6がつ はな逝去せいきょ (80さい)。

注意ちゅういください!!

もりはな顕彰会けんしょうかい関係者かんけいしゃ名乗なのるメールや電話でんわがあるそうです。
また第三者だいさんしゃとおしておねがいごとをすることもございません。

森はな顕彰会